元リクルート女子【同期の桜】ゆる熱!対談 第1回
HER LOVE, HER LIFE Vol.5
森下「ありましたね。私の場合、営業担当エリアが住宅街で、名刺を配る取引先、というか会社自体の数が全然なくて。
『どこに名刺を配ればいいんだろ…』と困っていたら、私の姿を見た先輩が担当地域を分けてくれました。その地域で、ビルの上から下の階に向かって名刺を配っていく、いわゆるローラー作戦をしました。さすがに名刺を破られたりはしなかったけど、名刺交換を断られることも多くて。非常階段で泣いたこともあります。『辞めようかな、この会社!』って」
ヒュース「私は九州支社でたった一人の新人だったから、名刺獲得キャンペーンはありませんでした。そのかわり、1日営業電話をかけまくっていましたね。ある時、リクルート媒体のクライアント会社に引き継ぎで行ったら、そこの社長に『なんで女性をよこすんだ!上司を連れてこい!』と怒鳴られたことはありました(笑)」
結構クラッシックな会社ですね。
ヒュース「支社の雰囲気も、自分以外、全社員が男性で古風でした。社内にいるときにスーツの下にノースリーブのシャツを着ていたら、『はしたない』って言われて(笑)
飲み会で、『女性は全員の靴を揃えるまで店内に入らないように』と言われたこともあります。
『なぜ女性だから?』って思いましたね」
森下「えっ、そんなことさせられたの…!」
ヒュース「あの理不尽な新人時代を経験したからこそ、『これからなんでもできる』って思えました。あの時の苦しさを考えたら、どんな事が起こっても乗り越えていけるな、みたいな。今の通訳の仕事はフリーランスですから、何もかもすべて自分でしなくてはいけません。新人時代の辛さをベースで考えるから、何か新しいことに飛び込む怖さがなくなりました」
森下「私は、自分はどんな価値で勝負していくべきなのかと、嫌が応にも考えるようになりましたね。先輩の姿勢がすごく参考になった。
単に“数字を追いかける”やり方じゃなくて、広告クライアントとの関係性を大事に作ろうというスタンスの先輩がいたんです。
営業先に行っても仕事内容の話をするんじゃなくて、仕事上だけでなく、人として信頼してもらうような、そういう関係構築がとにかく上手で。
当時は、1ページ16分の1の求人広告枠で、9万円ぐらいしたんですよ。最初は、こんなに高い広告枠の意味が分からないし、誰が出すんだろ、効果あるの?とか思いましたけど(笑)
でも、その先輩のコンサルタント能力を見て、クライアントは広告枠にお金を払っているだけじゃなくて、そういう、いろいろ相談できるコンサルテーションに価値を見出して何年もリクルートと繋がってくれるんだな、っていうことに気がついて。
本当に定着する人を求人するっていう結果が出るまで担当営業としてクライアントをサポートできれば、9万円は高額じゃなくなるんです。会社はその小さな広告枠を出稿することで、ずっと働いてくれる社員が見つかるわけですから。
どうやって、“自分を売り込んでクライアントに夢を見させるか”なんだなって思いました。
それは営業をやっていたからこそだと思います」
ヒュース「リクルートが営業社員に求めているのは、その会社のコンサルタントになって欲しいっていうことなんですよね。
最初は広告を売りつけるっていう意識なんですけど、次第に、クライアントと自分たちの利害が一致してくる感覚が明らかにありましたね」
お2人は幼少期、どのようなお子さんだったんですか。