フジテレビ番組構成、ギャグ漫画、ねぞうアート 。縦横無尽な愛のクリエイター
HER LOVE, HER LIFE
小学校に入って、演劇クラブに。
「おとなしい子なのに意外…」と、母にも思われたけれど
小学校4年でクラブ活動に入る時点で、演劇クラブに入りたいって言って。
母も、「おとなしい子なのになんで…?」と唐突に感じたらしいのですが、母も実は少女時代は演劇部ですごく熱中していたらしく、「やっぱり私の子だわ…」と思ったみたいです。
もともと、「物語」みたいなものがすごく好きでした。
中学時代とかも、田舎の私立の学校だから友達も遠くに住んでいてあまり遊んだりもできず、一人で部屋で漫画を読んだりがすごく多かったんですよね。当時流行っていた「エースをねらえ」のゴージャス巻き髪のお蝶夫人とかに憧れて、「ヒロミ、よくってよ」みたいな話し方とかを真似したり(笑)バドミントンのラケットを振り回しながら「行くわよ!ヒロミ」「ハイ!お蝶夫人」とか、1人2役で、世界観を楽しんでいて、親がヒイてるみたいな(笑)
女子校で、身長も高かったので、いつも男役で。演劇クラブの活動は好きでしたね。小学4年生のときには「声優さんになりたい」と言っていました。その思考回路も明確に記憶してるんですが、「私はお芝居大好きだけど、容姿が役者になれるレベルじゃないから、声優ならばお芝居ができるはず」みたいに思ったんですよ。当時はアイドル声優とか存在しておらず、舞台の役者さんが兼業されてた時代だったので。
絵とか作文では結構コンクールに入賞していて。授業中に作文を代表で読まされたり。
図工と作文が得意だなって。漫画とかもうっすら描き始めてましたね。所詮子供なので1ページとかしか描けないんですが、1ページでも周りの子って読みたがるので。漫画を描ける子がクラスに3人くらいいて、「読ませて!」って注目されるときはスターになれるなって認識していました。
激しく没頭した演劇部。
既に武将モノパロディなどのコンテンツプロデュースの手腕を発揮
中1から高3まで、引き続き演劇部で。幼稚園から高校まで、エスカレーターでした。
体育祭と文化祭を+年度ごとに交互にやるのが学校のしきたりで、私の学年は「演劇部的アタリ学年」でした。受験がなくて高学年として仕切れる高2のときに文化祭がくる学年にいるのがアタリ学年といわれていて(笑)最後に完全燃焼できる文化祭のときに、部活的には最上級生である高校2年生にならないと、思いっきり仕切ったり、やりたい役を演じることができないので。「私は高2で文化祭のアタリ学年!」と、小学生のころから意識して燃えていました(笑)
同期は私ともう1人の、たった2人でした。彼女は女役、私が男役で、最初は仲良くなかったんですけれど、中学時代から、「お互いホンキで入部してホンキでやってんな」って、わかるもので(笑)「学年的にせっかく高2に文化祭のステージがあたる代の同期なのに、反発していても仕方ないから、力を合せてやっていこう」って、中3くらいから、協力して高2での演目について検討したり、下級生をスカウトしに行ったりしてました(笑)
文化祭では父兄も来るし、先生ウケもいいものにしなくちゃで。他の学年は、自分たちでシナリオを書いたりはせず、シェークスピアのおもしろアレンジとかで済ませていたのですが、ありきたりな慣例とは違ったものをやりたい」よな…と思って。
三国志のアニメーションビデオを彼女が見つけてきて、「この三国志を女子校ウケする、大好きな和のもんのすごい豪華な衣装を着られるのにしよう」と。既存の脚本だと女子校ウケするアレンジするのも逆に大変なので、一からオリジナルで作りました。
三国志ってもともと、魏・呉・蜀の武将が主役なんですが、蜀の諸葛孔明っていう軍師が、ものすごく有名ですよね。この諸葛孔明に負かされっぱなしだった、呉の軍師・周愉という、地味な男をヒーローにしました。長髪で色白で結核持ちの美系キャラにして(笑)
あと、ヒロインは、呉の国の孫権の妹でもある姫君で、のちに蜀の王・劉備に嫁ぐ孫夫人っていうのが原作にはいるんですけど、そのお姫様を勝手に麗華(れいか)っていう名前にして。周瑜と麗華の悲恋モノにしたんです。麗華の兄の孫権と周瑜が昔から友人として交流があったことで、孫権と麗華も実は既知で、でも政治のために、麗華のことが好きなくせに周瑜が劉備のもとに嫁がせる、みたいな、ちょっと鬼畜要素もある萌えストーリーに仕立てましたね。
すでに「三国志」の原型は残してないんですが(笑)学校側から「『三国志』なら…」と演目の許可が降りて、文化祭でも大ウケで、体育館で初の立ち見客が出ました。
当時からクリエイティブだったんですね!
三国志パロディ、とか、もう同人文化まんまですね!
演劇部を大喝采の中引退した小出さんは、多数のクリエーターや芸能人を輩出している日本大学芸術学部に進学。