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    LIFESTYLE

    日本人の世界観「ハレとケ」を見直す―SNSに惑わされているあなたへ

    SNSや雑誌のモデルどうしてあんなにキラキラしてるの?って羨んでばかりいませんか? 女性雑誌にはキラキラと輝く女性の特集ページが目立ちますね。
    30代女性をターゲットにした雑誌の中の彼女らは、順調な夫婦生活、お仕事でもきらびやかに脚光を浴びて!それなのにママとしても完璧!素敵なブランド物のお洋服とアクセサリーを身に着けて本当に美しく輝いていますね。
    ただ、一方で彼女らをうらやましく思って自分の生活の中で「私って??」と必要以上に卑下していませんか?
    そんなお悩みがある女性たちに、もう一度見直していただきたい日本人の世界観があります。

    「ハレとケ」について

    日本人は農耕文化で非常につましい生活を余儀なくされてきました。その中で日常と非日常を上手に使い分けて生活を楽しむことをしてきました。
    「ハレ」は「晴れ」と言い換えることができます。
    「晴れ着」「晴れ姿」「晴れ舞台」「晴れの日」「晴れの門出」といえばイメージしやすいでしょうか?
    結婚式や成長に伴う行事の日やその時にお召しになる衣装の事ですよね。とにかくそういう日にできるだけ着飾って行事を楽しんでいました。
    画像出典:写真AC

    「ケ」は日常
    ハレは特別な日ですが、そんな日は1年に数日…で後はあまり変化のない「日常」が大半です。それを「ケ」と呼びます。
    毎日が面白おかしく暮らせるわけではない、「ケ」があってこそ「ハレ」にはじける思想は今も感じますが昔から日本人にある習慣なのですね。

    「ハレとケ」の思想は柳田國男から

    この思想を明確化したのは日本の民俗学の父とも呼べる柳田國男さんです。
    日本人はハレの日にはそのための食器さえ特別なものを用意し、お食事も豪華にしていました。宗教的な行事ごとに特別感を出していた諸外国とは違う日本独特の生活の時間観、世界観なのです。
    しかしこの世界観を伴った対の言葉である「ハレとケ」の「ハレ」という言葉は今も使われていますが、「ケ」は明治時代以降あまり使われなくなっています。
    そのことについて柳田國男さんはハレとケの区別の曖昧化が進行していることを昭和初期に指摘をしています。

    現代は「ハレ」ばかり

    冒頭の雑誌の特集の例もそうですが、現在の時間の切り取り方は「ハレ」の部分のみです。
    それはそれで構わないのですが、だからといって彼女らが「常にそんなゴージャスな暮らしをしているのか」は別だと思いませんか?
    一部のセレブはそうかもしれません。でも、彼女らも仕事の中でも家庭においても地味で堅実な案外「人間臭い」暮らしをしているのではないでしょうか?

    SNSの友人も特別感の演出かもね
    「雑誌の中の芸能人は特別ってことは分かるけどFacebook,Twitter,Brogの友人も自分よりいい暮らししてる!うらやましい」って思っていませんか?
    どの媒体を使うにしても、どうしても「見られる」ことを意識します。だったら「日常」よりもちょっと離れた場面をどうしても切り取ってアップしますよね。
    自撮り写真1枚にしたって何度も撮りなおす若い女性のなんと多い事か!これはすでに非日常「ハレ」に近いんです。
    画像出典:写真AC

    「うらやましい」はより自分を良くして行こう!という活力につながります。
    でも人っていつも「非日常」の中にいては疲れますし、非日常を日常と勘違いすることでより刺激的なものを追って自分の足元が見えなくなってしまいます。
    それが行き過ぎると自分の収入以上の暮らしを求めて家計を顧みなくなったり、またSNSのやりすぎ投稿などの一因にもなりかねません。

    日常こそ大切に

    生活(日常)って平凡でつまらないものです。その「ケ」の部分を大切にするから「ハレ」の日を喜びを持って迎えられるのです。
    今こそ日本人の世界観を「ハレとケ」を見直してあふれかえった「非日常」めいた情報に振り回されないでほしい。そう思います。


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